最近は天候が本当におかしく、到着の日は大雪でした。志賀高原の麓、中野では久しぶりの大雪に、皆が大忙しで除雪をしてくれていましたが、間に合わない様子でした。
ピンと張り詰めた勇気。キラキラと輝くダイヤモンドダスト。雪をスキーが削る音。冬らしき冬に心が躍ります。しかし気候変動が進むと、いつしかこんな景色も見れなくなる。スキーを履いて雪山を巡ることもできなくなる。
美しい山を見ながらそんなことを思う今日この頃です。
さて、スキー教典はある技術の体系です。日本にはプルークという言葉や、ボーゲンという言葉があって、いったいこれは何語なんだろうと思いながらスキーを教わります。
それらの言葉はオーストリアの言葉で、日本のスキー教典はオーストリアのスキー教典に依存していると言われています。しかしこれは依存というか、ある一部だけを理解して、それを世界そのものだと勘違いしてしまう人間の性とも言えます。
スキー教典はある技術の体系です。でも実はその前に、実際に、ものすごい斜面を安定して滑っている人がいる。とんでもない悪雪でもすごい速さで降りてくる人がいる。氷の斜面を滑って降りてくる人がいる。大きく回ったり小さく回ったりしている。回転弧の起点となる身体の場所はどこなのだろうか。そこにどんなメカニズムが、、、そんなふうに教典はできていきます。
当然、スキー技術にも基礎があります。それは蔑ろにしてはいけない。しかし基礎以上のことを押し付けてもいけない。僕たちの目標はあくまで、雪の中を滑っていくことだからです。
道具と技術に向き合うのに、スキー程ぴったりの活動はありません。そしてこのことは、激変する天候にも無自覚になり、道具によって人間の暮らしが豊かにも貧しくもなることを忘れてしまった現代の人々に、貴重な体験を授けてくれるということを意味します。




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