2022年8月10日水曜日

六甲山のキャンプ 初めてに驚く

初めてキャンプにやってくる子どもたちが多い六甲山のキャンプは、ゆっくりと時間が進んでゆきます。


沢が中心にあるキャンプ場での生活は、水を起点に始まります。


穂高湖から流れ出る小さな沢を歩いていると、水の小道を歩いているようでした。


沢歩きの基本は谷底を歩くことです。いち早くそれを感じとった子どもが、すいすいと進んでいきます。


「僕たちはかつて森で暮らしていた」ということを、身体が覚えているようでした。


夕方からは、焚き火を囲んでのお話の時間。


夕食を食べてのキャンプファイヤー。


火と言葉が交わされていきます。


近代社会に暮らす僕たちは、どうしても感受性が失われていきます。


錆びついた刃物のようにです。それは子どもと言えど例外ではなく、沢によって、森によって、森で暮らす人々によって、もう一度鍛えられ、研磨される中で、苦しみと共に感受性を取り戻していきます。


「初めに言葉ありき」という聖書の言葉は、言葉の前を示します。


なぜ終わるとわかっている宇宙が存在するのか?

なぜ死ぬとわかっている生があるのか?

なぜ別れるとわかっていてキャンプで出会うのか?


それはきっと良き知らせを知るためなのだと思う。そう思わずにはいられないことがキャンプではたくさん起こります。


「その両手は誰のためにあるのか」


その問いかけに応えてほしい。

今朝霧中の森で、子どもたちに呼びかけました。


あらゆる眼差しに応える姿勢が、この世界を生きる責任感に繋がります。


初めてを喜ぶ六甲山のキャンプは、たくさんの驚きの中で進み、いくつかの切り口で深められたその感情は、内なる光となって輝き続けると願っています。


※電波状況が悪く2日目、朝の更新となりました。

2022年8月5日金曜日

One Camp 海という不動点

 One Camp 二日目は海で遊ぶ1日。

カヌー、カヤック、海水浴。砂浜での遊びに飛び込み!

燦々と輝く太陽の下で過ごしました。

午前中は風が強く、思うように船が漕げません。風と波に持っていかれる船をうまく動かすことができません。

圧倒的な自然。

それは僕たち人間にとっての不動点でもあります。

人の感情は移ろいやすいからこそ、人は不動点に憧れます。

このキャンプで、自分自身の「不動点」に出会って欲しいと思います。


※写真がうまくアップできません。

2022年8月4日木曜日

言葉と歌と記憶と One Camp 2022

One Camp 2022がスタート。
2年ぶりの開催です。

この二年間、One Campは止まっていたわけではなく、コロナ禍でも動き続けていました。

「すべてが止まっていた」

2020年に希望に胸を膨らませて大学生活をスタートさせた学生は、そう回想します。

「人と会うことが大好きだった。たまに一人でいたくなる時もあるけれど、いろんな人に会いたい。こうやってキャンプでいろんな人に会えることは、自分にとって本当の喜びなんだ」

普遍的な人間の喜びについて、こんなにも不確かな時代を生きている僕たちの目には、One Campは良きものとして映るのでしょう。


全国津々浦々、広くは海外から約150名のキャンパーが余島に集まってきました。

Kumbayaは、余島キャンプでよく歌われる歌です。

“Come by here"
神よここ来てその声を聞かせてくれ。

決して語ることのなかった神を信じ続けた人々によって紡がれたメロディが、野外集会場に響いていきます。

Leader in Training で参加している小学校6年生の女の子が、身体の奥底から、通る声で言いました。

「One Campではいろんな人に出会えるから楽しみです。一人ひとりが宝物だから、キャンプが本当に楽しみです。」

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“キャンプは社会の縮図である。”
キャンプに携わるすべての人が心に刻むこの言葉は、真理です。

“そうであるならば、キャンプで得たものは現実の生へと還元されるだろう”

言葉と歌と記憶がこだまする場所で、一人では到底達することのできない喜びの境地に、近づいてくれることを願っています。

キャンプディレクター 阪田晃一