2025年8月25日月曜日

明日もまたきっと良き日になる。私たちは日に日に良い方向に進んでいる(マンスリーデイキャンプ特別例会キャンプ)

-ねえ、何読んでるの?

ピカソの本だよ。知ってる?画家の人だよ。

-うん、知ってる。そういえば前にリトリートセンターでゴッホの話してたよね?ゴッホって耳の話だよね。レンズから世界を見ていたんだよね?

よく覚えているね。そうだよ。確かにその話をしたね。ゴッホは他の人とは違うふうに世界が見えていた。普通の人に取ったら歪んだ世界。でもゴッホにとったら世界は歪んでいたんだよ。

-また話聞きたい!その本ちゃんと読んでね。

わかった。また明日話をするね。

***

あるキャンパーとの会話です。おそらく今年の3月例会キャンプでの話です。子どもたちの記憶力はものすごいものがあります。

パブロ・ピカソは有名な画家ですが、とても繊細で実直な人でした。子どもの絵を模写したことは有名で、「わたしは子どもらしい絵を描いたことがなかった。子どものころからラファエロのような絵を描いていたからね。子どものような絵が描けるようになるまで一生かかったよ」という言葉を残しています。

子どもたちは、ほとんどの場合、幼ければ幼いほど、自己嫌悪に陥りません。だから自分の描きたいように絵を描く。ピカソもまた自己嫌悪を嫌う人でした。ピカソは自らが愛着を感じたものが最も価値のあることだと信じ、ある源泉から得た力を最大限使って、91歳になるまで絵を描き続けたのでした。

ピカソが目指したものは、子どものような心で、自分の目に映った世界を描くことでした。美しいとか醜いとかも関係なく、愛も憎しみも含めてすべて愛に貫かれた世界での出来事。常にみずみずしい心でこの世界を眺めることを、眺め続けられることを信じて疑わなかった人だったのでしょう。だから何も見えない時は「黒い絵を描け」とまで言ったのです。

評伝を読んでいると、言葉にとても気をつけた人であることもわかります。

他人の言葉を、書き、 尊重し再生することは難しい。 たとえ、誰かが口にした言葉をとらえ、 それをそのまま、一言一句変えずに 書いたとしても、まったく別のもの、 ときには正反対のものにさえ なってしまう。だから難しいのだ。

だから感性や感覚、自己嫌悪に関する言葉、死などは使うことすら避けていたようでした。

さて、僕たちもピカソの構えから多くを学ばなければなりません。YMCAキャンプに理論的ベースとなっている「真に民主的な」営みを信じたジョン・デューイも、それを受け継いだリチャード・ローティも、言葉が人々の実存に与える影響を考慮して、さまざまな文章を残してくれています。決して言葉に飲み込まれるなと。

子どもたちは今はもう寝ていて、明日にやってくる新しい(未規定な)世界を楽しみにしています。明日のスケジュールは一応決まっています。大人たちはピカソがそうしたように、子どもたちが見る新しい世界に遅れずに、それを少しでも損なわずに一緒に足を踏み入れ、「今日もまた良き1日である。僕たちは日に日に良い方向に進んでいる」と信じて疑わない子どものような世界を、共に見てほしいなと思います。












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